2000/09/04(月)晴
天才和音について
このところの体調不良は、どうも背骨の神経だか筋だかが痛んでいたらしい。
このあいだ診てもらったのは内科専門のお医者さんだったので、総合病院に行って改めて診てもらった結果、どうもそうらしい事が判明した。
痛みはだんだん腹から背中に移っていた。「カイヨーかもしれないよ」とさんざん脅されたので胃カメラを呑んだのだが(アロハシャツ着て。間抜けな格好だったろうな)胃、十二指腸共にすこぶる綺麗でツルッツルのピッチピチであった。血液検査の結果もまるで異常なし。
で、消去法でやっぱりこれは神経痛か筋肉痛であろうという診断が下され、鎮痛剤と筋肉をほぐす薬を処方してもらった。今の所おかげさまで痛みはない。
部屋の窓型クーラー(アパートが古くて室外機が置けないのだ)が非力なせいで、背中に汗をかいている上に冷風が当たったので冷えてしまったのと、楽譜の仕事でパソコンに向かっている時の姿勢が悪かったのが原因と思われる。
全く世の中というのは油断が出来ない。
でも、私のような立場の人間は体をチェックする機会なんてほとんど無いので、とりあえず内臓に関しては安心できて良かった。
話は変わるが、最近クラシックギタリストの山下和仁さんの「ヘイ・ジュード◎イエスタデイ」というCDを聴きまくっている。 二枚組で全36曲、すべてビートルズのカバー。アレンジは全曲本人が行っている。
これがとにかくすごい。すごすぎる。よくある生っちょろい企画物のアルバムとは全然違う。
「オール・マイ・ラビング」や「サージェント・ペパーズ〜」ではものすごいテンションの高さで、たちまち聴き手を彼の世界に引きずり込んでしまう。日ハムの小笠原道大選手並みの、豪快フルスイング奏法だ(わかりづらいかな?)。そうかと思うと、「イフ・アイ・フェル」や「フール・オン・ザ・ヒル」などではこの上なく繊細な音色を堪能させてくれる。
またアレンジが素晴らしい。コーラスパートはもちろん、間奏のギターソロやちょっとしたオカズまで、信じられないくらいしっかりとフォローしている。無論ベース、コードを一緒に弾きながらだ。「イン・マイ・ライフ」のチェンバロソロの部分なんか、まさに神業である。
圧巻は「ペニー・レーン」で、真ん中のピッコロ・トランペットソロの所が、音色まで本物そっくりに弾かれているのである。あの譜割りはコード抜きの単音で弾くだけでも大変なはずだ。
勝手な想像だが、きっと彼は子供の頃からビートルズが好きで好きで、ほんの小さなフレーズまで体の中に染み通っているのだろう。あそこまでやってしまうのは、音楽への愛情以外の何物でもないと思う。
「鳥の歌」というビデオは以前から持っていて、見る度に氏の常識外れな個性と圧倒的なテクニックに尊敬と羨望の念を持っていたのだが、今回このアルバムを聴いてあらためて「こういう人を本当に天才というのだな」と思った次第である。
先日、妻が「天才和音」という言葉を教えてくれた。
何でも、「天才」というのは必ず誰かの目に留まって、和音のように世間に名声が広がっていくものであり、要するに「無名の天才というのは存在しない」のだそうである。心理学用語らしい。
山下和仁氏は16歳のときに世界3主要ギターコンクールでいずれも史上最年少で1位になった。以来、次々と話題になる演奏、録音を重ね、現在39歳にしてその世界的名声は不動である。なるほど、まあちょっと引っかかるような気もするがこの言葉はもっともらしく聞こえる。
さて、それで私はと言うと、33歳にして全くの無名である。
ということは、実は私は天才ではなかったということか?(知らなかった!!!)
これには泣けた。泣けてきた。お気に入りの曲が出来たり、いい感じで演奏できた時なんか何度となく「やっぱり俺は天才だ」と思っていたのだが・・・
いや待て。これから有名になればいいんだろう?そうすれば文句はないはずだ。それで私が天才かどうかは判るはずである。
「ハッチ・ポッチ・ステーション」のグッチさんも言っていた。「ぼくの夢は世界のエンターティナーになることさ。何言ってんだ、これからだよ、これからなるんだよ!!」って。
私には私にしか出来ない音楽が有るはずである。とりあえず、9月9日のライブをがんばろう。
2000/09/10(日)晴
井の頭報告
だんだんと日が落ちるのが早くなってきた。夕方5時頃にはもう薄暗くなっている。
今日は日曜日なのでフリーマーケットの人がたくさんいた。本来ならここは許可無く店を出してはいけないのだが、皆思い思いに陣地を取っている。春に張られた、歩道と植木エリアの境界のロープもあまり役に立っていないようだ。だいたい皆ロープを境に歩道側に売り物を並べ、植木側に自分が座って、上手くスペースを確保している。
しかし今の所これくらいは大目に見られているようだ。こういう所にあまり管理者が出しゃばると活気という物が無くなってしまうので、どうか余計な事を言う人が出て来ないように願いたい。
最近は古着や雑貨を売る人の他、自作の絵はがきや書を売ったり、中にはマッサージや散髪をする人もいる。いらなくなった物を売るというより、自分の「芸」を売る人が増えてきた感じだ。
似顔絵描きのじいさんはいつもの場所を先に取られてしまったらしく、橋の近くで商売をしていた。タンクトップにレザーのパンツを履いて、今日はちょっと不良ぽかった。
すると、鳴いているのはこれはみんなマツムシだろうか?子供の頃確かこの虫は「チンチロリン」と鳴くと教わった。頭上で聞こえる声は、まあそう聞こえなくもないが、結局よく判らなかった。
街灯に照らされて薄い羽を羽ばたかせながら頼りなく落ちてくるその姿は、どこか幻想的で美しかった。
橋の上から池越しに大きな月が見えた。満月にはちょっと足りない形だ。
これからの季節、月見酒なんかいいね。
2000/09/25(月)曇り
井の頭報告
秋分を過ぎたのにまだ暑い。Tシャツ一枚で事足りるくらいだ。
生き残りのツクツクボーシが鳴いている。冬を越すつもりでいるのかもしれない。
似顔絵描きのじいさんはいつもの場所に店を出していたが、本人の姿は見えなかった。
その横で「青空英会話」と書いた紙を持って座っている外人がいた。誰からも相手にされずさえない顔をしていた。
池の西側に、三和土のように池の中にコンクリートが張り出している所がある。私のお気に入りのスポットである。
川のほとりの洗濯場のようなその場所からは、正面に噴水が見え、対岸には柳の木も見える。すぐ近くまで亀が泳いでくることもある。
今日はここで水面近くを飛んでいる赤トンボを眺めて過ごした。
記憶が曖昧だが、子供の頃に見た図鑑には、赤トンボは確か赤色の濃さによって「アキアカネ」とか「ナツアカネ」と言う名前で載っていたと思う。昔の人はずいぶん風流な名前を付けたものだ。
他にも、全体が黒くて胴の一部分だけが白い、珍しいトンボが飛んでいた。このトンボは子供の頃宮崎にある親戚の家の近くで見たことがあるが、名前は忘れてしまった。
公園の西側の斜面にはヒガンバナが咲いていた。
今年の夏は長かったな、と油断して歩いていたら蚊に刺されてしまった。