2001/10/12(金)快晴
井の頭報告
 

 秋らしい気持ちのいい天気、いつもの井の頭公園である。

 今日は背筋を伸ばして、ゆっくりと、歩いてみた。自分は決して背は高くないが、それでもいつもより視点がやや高くなり、景色がちょっと違って見える。
見上げると、秋の空はあくまで高く、はるかかなたで戦闘機が爆弾を落としているとは考えがたい。

 柳の木の近くで5、6歳くらいの女の子が3人、魚釣りをしていた。仕掛けは植木鉢に差す蔓棒(50cm位)にナイロンの糸、玉ウキという簡単なものだ。暇を持て余しているらしい老人達があたりを取り巻いて、頼まれもしないのに針に餌のミミズを付けてやったりしている。何を釣ってるの、と聞くと「ブルーギル」と簡潔に答えてくれた。岸のすぐそばに仕掛けを降ろすとすぐにアタリがあるが、なかなか針には掛かってくれないらしい。「つつかれるだけで全然釣れないの。」と竿を上げては残念そうに言う。

 隣にいた女の子が、小さな透明のエビを釣り上げた。「手長エビだ。」と嬉しそうに笑った。老人達も嬉しそうだ。

 でも私は何となく嫌な気分になってその場を立ち去った。何となく、こうして自分がよその子を構うのが、不潔な行為のような気がしたのだ。何故そんな気持ちになったのか、自分でもよくわからないのだが。

 池の縁の、秘密の場所に座って鍵盤ハーモニカを吹いた。最近出来た曲のメロディがずっと頭の中で鳴っている。たった8小節の短いリフレインだが、自分らしい、シンプルな佳曲だと思う。ずっと思い浮かべていると、だんだん切なくなってくる。この曲を延々繰り返して吹くが、飽きない。
せっかくなのでこの曲に何かいいタイトルを付けたいが、なかなか思い浮かばない。やはり曲を作る時はタイトルから先に考えるべきである。

 今日は調子に乗って"My One And Only Love"などのスタンダードも吹いてみた。こういう曲は1音上のキーで覚えてしまっているので、アドリブがなかなか難しい。でも、多少音は外れても気持ち良く吹くことが出来た。ギターだとなかなかこうは出来ない。メロディーを奏でるにはやはり管楽器がいい、とつくづく思う。

* * *

 帰り道、またゆっくり、ゆっくり歩いてみた。今日は・・・背筋を伸ばして歩くんだった。この前もまた「爆笑問題の太田に似ている」なんて言われてしまったのだ。
 さっきの女の子たちが自転車で元気良く走り去っていった。それぞれ、水の入ったビニール袋をぶら下げている。ブルーギルは釣れたのだろうか?
考えてみると、自分もあれ位の子供がいてもおかしくない歳なのだった。そんなの想像もつかないけど。

 井の頭線の線路をくぐったあたりで、アブラゼミの鳴き声が聞こえた。まだ生き残っていた奴がいたらしい。場違いな季節に登場したのは本人もうすうす気付いているらしく、セミにしてはテンションが低い。
 気にすることは無いよ、と口に出さず言ってあげた。気にする事なんて何も無い。早く死ぬセミ、遅く死ぬセミ、それだけの違いである。

 早く冬が来ればいい、と思う。




2001/10/30(火)曇り
井の頭報告
 

 先日、眼鏡を新調した。
 今まで使っていた眼鏡は丸い縁無しで、これをかけているとどういう訳か周りからはお人好しに見えるらしく、やたらと人に道を訊かれたり宗教の勧誘が寄ってきたりするので困っていた。
 いつだったか、駅で電車を待っていたら、ホームのはじのかなり遠くの方から、中年の男性が私めがけて脇目もふらずずんずん歩いてきて、「○○○に行くにはこの電車でいいんですか?」と聞いてきた事もあった。周りには何十人もの人が同じように立っていたにもかかわらず、よりによってこの私に、である。
 コンタクトレンズを付けているときはこういう事はほとんど無いので、やはりこれは眼鏡のせいであろう。
 なめられているのかもしれない。
 そう思って、今風のレンズの小さい、切れ者に見えるような眼鏡に変えてみたのだ。これでずいぶん印象は変わったはずである。
 でも、今日も井の頭通りで、厳格そうな顔をしたおじさんに呼び止められ、「吉祥寺北町に大きな神社があるんですが、そこどこだかわかりませんか。」と聞かれてしまった。すぐ近くに交番があるのに・・・。
 効果無し、か。
 私自身ひどい方向音痴なので、こういう時まともに答えられたためしがない。みな礼を言った後、一寸がっかりしたような曖昧な笑顔を浮かべて行ってしまう。

 そもそも私なんかに期待する方が間違っているのだ。考えてみれば、私という人間は小さい頃からずっとこうだった。期待はされるけど、実際人の役に立った事なんて全然無い。

 でも、それは別に俺のせいじゃねーのである。

* * *

 井の頭公園は、いつの間にか紅葉が始まっていた。うっかりしていた。もう10月も終わろうとしているのだった。

 友人に弁天様の安産祈願のお守りをあげたら、無事元気な赤ちゃんが産まれたので、お礼参りに行った。本人から「代理で行って欲しい」と便りが来て、お守りとお賽銭が同封されていたのだ。

 ぱんぱんと手を鳴らしてお参りをした。でも用の済んだお守りをどうしたらいいのかわからない。えーと、これどうすればいいんだっけ。こっちにあるのは絵馬だし、木にくくりつけるのは・・・おみくじだし。わけがわからずうろうろしていたら、おみくじ売場のおばさんが不審げにこちらを見ていたので、尋ねてみた。
「あの、このお守りをこちらで頂きまして、で、無事安産でしたのでお礼参りに来たんですが」「それはおめでとうございます」「いや、あの・・・どうも。で、これ、どうしたらいいんでしょ?」「本当はそこで燃やすんだけど、今燃やしちゃいけない事になってるのよ。」「え?」「役所がね、ダイオキシン出るからダメだって。」「・・・はあ」「お正月にかがり火焚くから、その時じゃないと駄目なの。」「そうなんですか。」「ま、いいわ、それこっちで預かっとく。お正月にね、一緒に燃やしてあげるから。」「ありがとうございます」「今、落ち葉燃やしてもいけない事になってるのよ。全部、ゴミにして出さなきゃいけないの。」「馬鹿みたいですね」「本当にねー」

 ともあれ、親切なおばさんのおかげで目的は達した。感謝。

 しばらく歩くと似顔絵描きのじいさんがいた。この頃見ないと思ったら、池の反対側に移動していたらしい。

 今までいた所には、例の不細工な工事用コーンに黄色と黒のロープが張られてしまっているのだ。まったく、どこもかしこも規制されている。




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